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言語学博士 溝江達英

溝江達英 世界言語研究所 代表
カナダ ラヴァル大学文学部日本語科科長(2012年〜2017年)
カナダ ケベック大学モントリオール校 非常勤講師

Lingodesk 代表取締役(カナダ法人代表)
青森県青森市生まれ。

小中高を通して生徒会長を努め、パブリック・スピーキングの経験値が培われる。
中学1年の時、何かの拍子で登壇し、全校集会で、滑舌良くスピーチした様が、当時の英語教諭、渡邉美代子先生の目にとまり、英語スピーチコンテストに出てみないか?とスカウトされ、そこから英語道に開眼する。

初出場の英語スピーチコンテストで、優勝。中学3年間は英語スピーチコンテストのための発音練習に打ち込み、中学1年・2年と連続優勝。中3では高校受験と重なり、練習が疎かになり、準優勝となり悔しい思いをする。

逆にその悔しさをバネにし、渡邉先生に鍛えて頂いた英語をもっと伸ばしたいという思いで、故郷の青森を離れ、カナダ系のミッションスクール(函館ラ・サール高校)で3年間みっちりカナダ人、イギリス人から英語を学ぶ。

英語に明け暮れた少年時代だったが、ふと大学に入り、英語以外の外国語の存在が身近に感じ、どんどん英語以外の外国語を学ぶようになっていく。

早稲田大学第一文学部に入学し、第二外国語でフランス語を選択する。

私の最初のフランス語の先生である市川慎一先生(早稲田大学名誉教授)へフランス語の質問へ行くと、隣の教室で教えているフランス語の先生のほうが歴史文法に詳しいから聞きに行ってご覧なさいというアドバイスを受け、素直に質問しに行き、そこから私の人生が言語学街道へ流れていくことになる。

そんな経緯で、早稲田大学名誉教授・現日仏ギリシア・ローマ学会会長の遠山一郎先生と出会うことになる。

当時大学1年生であった私は遠山先生に質問しに行ったその日に、遠山先生のラテン語の授業に出ることになる。

師の教えをすべて吸収すべく、遠山先生のフランス語の授業すべてと、ラテン語の授業のすべてに出席した。大学1年生にもかかわらず、大学院の博士課程の授業にもお邪魔した。

途中、もっと勉強したい思いが強くなり、留学を決意する。 フランス留学ではフランス語しか勉強できないだろうと思い、多言語・多民族国家で高校時代から馴染みのあったカナダを留学先に選ぶ。

母校 函館ラ・サール高校に電話をし、ラ・サール高校の本部のあるカナダオタワに住み込みしながら、英語とフランス語の個人レッスンをしてくれないかと直談判し、ラ・サールホームという学生と修道士が共同生活している寮に1年留学することになる。

留学時代は寮では毎日フランス語、外では毎日英語を話すという刺激的な日々を送る。また、毎日、午前中は修道士のポール先生からフランス語、午後はジェラール先生から英語の個人レッスンを受ける。

毎週水曜日夜はスペイン語の学校に通い、フランス語と英語が混ざった授業でスペイン語を学んだ。

修道士数人との共同生活であったが、修道士はみなフランス語と英語を話し、ナイジェリア人の修道士のジャックは元ラテン語の教師で、ジャック先生からは毎週土曜日ラテン語をフランス語で学んだ。

帰国後は早稲田大学に復学し、遠山先生の授業には再び全出席。遠山先生が青山学院でもラテン語の授業をされていたので、そこでもラテン語を勉強し続けた。

こうして語学に捧げる人生の中、自分は就職することはないんだろうなと思い、東京大学、一橋大学、早稲田大学の大学院を受験する。

受けたすべての大学で第一次試験の語学は合格するも、

早稲田大学では文学派閥が強く、言語学の生徒はいらない風潮が災いし、二次試験で不合格

東大では面接で卒業論文を忘れてしまう痛恨のミス

結局、一橋大学の大学院が拾ってくれたので、言語社会研究科に席を置くことになる。

一橋大学の大学院時代には指導教官がドイツ語の先生ということもあり、ひたすらドイツ語に打ち込んだ。

渋谷にあるドイツ語学校にも通い、そこではオーストリア人のマイゼルス先生という多言語話者に習い大きな刺激を得る。マイゼルス先生にはドイツ語以外にも、スペイン語、ハンガリー語、バスク語を教えていただいた。

一橋に通ってはマイゼルス先生にも習う毎日を2年間送る。

そんな中、母校の早稲田大学で、ドイツ語と英語の比較の大家である故 上田稔(早稲田大学名誉教授)の最終講義が目に止まり、偶然出席する。そこで、大感銘を受け、上田先生への弟子入りを希望し、門下生となる。

上田先生のご自宅が僕の住んでいたところのご近所だったので、最終講義を終えられた後、帰り道が一緒になり、そこから、上田先生とほぼ、毎日、勉強させていただく毎日を過ごすことになる。

上田先生からは毎朝7時には電話がかかってきて、先生が5時に起きて書き起こしたドイツ国営放送のニュースとCNNニュースとの言語学的知見を教えていただき、8時にスクーターで先生のご自宅に伺い、そのまま、10時に一橋大学に向かう日々が続いた。

早稲田、一橋と日本で超一流の言語学者に直で徹底指導され、このまま日本の大学院にいて博士課程とも思ったが、やはり外国語を勉強するものは外国語が使われている国で修行しなければならないという信念が捨てきれず、海外での博士号取得を強く決意する。

上田先生の娘さんが教授を務められているアメリカの超名門のブラウン大学に出願し、合格通知を受ける。

上田先生の娘さんのように、日本人でありながらもアメリカ人にチェコ語を英語で教える姿勢に憧れたが、年間の学費400万の壁にぶち当たり断念。

ロータリー財団奨学金で当時400万の奨学金を得ていたものも、これでは1年で使い果たしてしまうと思い、遠山先生に相談し、カナダの名門 フランス系最古の大学 ラヴァル大学への入学へ変える。

カナダの国策で英語系の大学のチャージは高く、ケベック州でフランス語第一主義の大学は外国人への授業料はかなり安くその恩恵を預かるべく、博士課程に20万ほどの学費で入学する。また、同時にカナダ政府国費留学生の試験に合格し研究生活が後押しされた。

ラヴァル大学博士課程に入学し、ポーランド人の指導教授の下、ロシア語についての博士論文を書くことにする。

ロシア語を教えてくださった先生が博識かつ、人情味あふれる素晴らしい先生だったことから、ロシア語をテーマにしてみたいと思い、遠山先生がテーマにしていたラテン語動詞接頭辞com-のインドヨーロッパ語として共通語幹が認められる、スラヴ諸語の動詞接頭辞S-の問題を8年追いかけることとなる。

博士課程に在籍している間に、ラヴァル大学から日本語を教えてくれないかと言われ、非常勤講師からはじめ、専任教員選を突破し、テニュアを得る。

ラヴァル大学に定職を得つつも、日本語人気が止まらず、ケベック大学モントリオール校でも授業を頼まれ、年間、一コマ3時間の講義を年間18コマこなす生活を数年続けることとなる。カナダで一番のコマ数を持つ教員としてひたすら教壇に立ち続けた。

その中でも言語の情熱は失わず、博士論文を英語で書き上げる。

英語で博士論文を書き上げ、フランス語で論文審査を受け、質疑応答はロシア語でも行い、言語学博士号を取得。

カナダでの教員生活と研究生活をする一方で、日本人への外国語教育熱も冷めやらず、超越文法という名の教材をリリース。

http://www.mizoe.jp/cend/lp/?aid=c4tpit8t

受講生からの喜びの声に励みを受けロングセラーとなり、どんどん新教材も開発している。

趣味は多言語習得。とにかく言語学習が好きで、現在はアジア諸語の研究を日々続けている。現代語の文法を歴史的に横断することに興味を持っている。

正統派の言語学の勉強を越えて、楽しく学べる語楽(ごがく)を推奨し、日本人多言語話者育成に情熱を注いでいる。